Demon’s 風に。
Twitter でのことのちょいまとめ。
私も紀里谷監督の考えに近い考えを持っていたのだけど、さすが格が違った…
「滅びるしかないのでは」で止まる私と、「じゃあこうしてでも克服すべきではないか?」と建設的な考え方の監督。
目を覚まされる思い。— 水無月真弥(MayaKohyoh) (@mayaeh) March 29, 2017
【飢饉のおそれ】 #南スーダン に蔓延するコレラ、大量殺戮、そしてレイプhttps://t.co/fxMKstiLFA
— ハフィントンポスト日本版 (@HuffPostJapan) March 29, 2017
やっぱりスルーできないので書きます。この手の話は自分が生きている間に絶え間なく起きていて、生まれる前も絶え間なく起きている。時代が変わろうがテクノロジーが進化しようが、地理的、人種的要因を超越して絶え間なく、全く途切れることなく起き続けている。(1) https://t.co/Jw6AFqdX0c
— Kazuaki Kiriya 紀里谷和明 (@kazuaki_kiriya) March 29, 2017
(2)そのどうしようもない事実を見聞するたびに、いずれ人類はこの圧倒的な残虐性から解放される日が来ると自分に言い聞かせてきた。しかし、その希望は少なくとも自分の中にはもうない。最近にわかに話題に上がる人工知能。その度にAIが人間を駆逐する可能性をどう回避するのか、 https://t.co/Jw6AFqdX0c
— Kazuaki Kiriya 紀里谷和明 (@kazuaki_kiriya) March 29, 2017
(3)という議論。この議論を聞くたびに自分には人間が駆除されるべきではないという理由が見つからない。私達が自分たちで言うところの、人間は崇高な存在であるという根拠が全くみえない。どこが崇高なのだろうか?歴史上に行われたと言われる崇高な行動というものはそもそも人間による蛮行に対する https://t.co/Jw6AFqdX0c
— Kazuaki Kiriya 紀里谷和明 (@kazuaki_kiriya) March 29, 2017
(4)リアクションでしかない。ありとあらゆる英雄的行動は、ありとあらゆる残虐行為に対する抵抗でしかない。いかなる革命も一時の情熱によって成し遂げられるが、その情熱はすぐにシステマチックな暴力支配に変色してしまう。これはそもそもの私達の生物学上構造の限界のように思えてしまう。 https://t.co/Jw6AFqdX0c
— Kazuaki Kiriya 紀里谷和明 (@kazuaki_kiriya) March 29, 2017
(5)つまりどうしようもない、しょうもない生物なんだということだと思う。であればAIであれシンギュラリティであれ、それらに取り込まれてでも克服するしかないのではないか?そもそも、この残虐性を嫌悪する感覚も私達の中に存在しているというのも事実なのだから。 https://t.co/Jw6AFqdX0c
— Kazuaki Kiriya 紀里谷和明 (@kazuaki_kiriya) March 29, 2017
私の場合は常にこう思っているわけではなくて、ショッキングなことを見かけるとこう思ってしまうことがある、という感じ。
私ももっと先を考えられるようになりたい。